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【書評】深沢潮『赤と緑』(実業之日本社)

時事通信配信にて、12/13(日)より各地方紙に寄稿しました。ここに再録します(盛田隆二)

 日本人はK‐POPや韓流ドラマを好意的に受け入れるのに、在日の俳優や歌手はなぜ日本で堂々と活躍しにくいのか? そんなシンプルな問いに僕はきちんと答えられずにいたが、深沢潮さんの新作小説を読んで、目からウロコが落ちるように多くのことを知った。

 2013年、新大久保の街路で「朝鮮人、ぶっ殺せ!」とわめき立てるヘイトスピーチが社会問題になった。その差別扇動デモに遭遇し、心に傷を負った在日4世の女子大生、知英が主人公。

 知英は生まれて初めて、日本の「赤」の旅券ではなく、韓国の「緑」の旅券でソウルに行き、そこで龍平と知り合う。龍平は日本に帰化した後、祖国に興味を抱いてソウルに留学している。横須賀生まれの龍平が初めて韓国の本籍地を訪ねたとき、どんなふうに感じたかと知英が聞く。龍平の答えがとても印象的だ。

「ここではない、って感じだよな」

 ここではない。どこへ行っても自分のルーツなど見つけられない。そんな日韓のエアポケットのような場所にいる二人は互いの距離を縮めながらも、在日同胞の仲間意識と恋愛感情を混同しているのではないか、と自身の気持ちを疑いさえする。そんな微妙な心の動きがリアルで切なく、そこが本作の読みどころだ。

 一方、ヘイトデモに対抗する「カウンター」に居場所を見つけた中年女性の良美は、差別反対運動に投じた人生に充足しているように見えるが、彼女もまた「ここではない」場所を求めてさまよう日本人の一人であり、在日の知英が抱える寄る辺なさと(二人は互いに気づいていないものの)かすかに共鳴し合い、小説に奥行きを与えている。

 人は本能的に「嫌う」「嫌われる」という関係から目を背けたくなるものだが、深沢さんは日韓のはざまにある「忌避感」の深淵を理性的に見つめ続け、心療内科を受診するほどトラウマを負った知英が最終章で親友と和解する姿を通して、確かな希望の道筋を示している。(盛田隆二・作家)


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