top of page

【書評】『1969 新宿西口地下広場』(新宿書房)編著者:大木晴子+鈴木一誌

【書評】『1969 新宿西口地下広場』(新宿書房)編著者:大木晴子+鈴木一誌

時事通信配信にて、7/13(日)より各地方紙に寄稿しました。ここに再録します(盛田隆二)

待ちに待った本が出た。編著者は「フォークゲリラの歌姫」と呼ばれた大木晴子。

一九六九年、十四歳のぼくは新宿西口地下広場で一度だけ晴子さんの歌声を聴いたことがある。いや、一緒に歌ったことがある。

サッカーの部活をサボって新宿に出かけ、遠巻きに監視する制服警官の姿にビクつきながら「友よ」や「機動隊ブルース」を歌い、今ぼくは歴史に立ち会っている、と武者震いした丸刈り頭の中学生にすぎないが、あの夏一瞬目撃したあの奇跡的な空間とは一体なんだったのか、この四十五年間ずっと気になっていた。

大学という閉ざされた空間をバリケードによって解放するのではなく、新宿駅という公共空間を歌と討論の場として解放した点で画期的だった、と評論家の上野昂志が本書で指摘しているが、付属DVDに収録されたドキュメンタリー映画『69春~秋 地下広場』を見て感じるのは、地下広場に足を止めた勤め人と学生がベトナム戦争について、米国の戦争に加担している日本について、これほど熱心に語り合っていたのかという驚きだ。

あるいはまた、フォークをそれ自体「運動」ととらえる者と、歌は討論の場を形成するための手段と割り切る者による議論は、懐かしさを超えて極めて現代的な問いかけに思えた。

というのも、先頃、集団的自衛権の行使容認に反対して、思いがけず多くの若者が首相官邸前に集まったからだ。

一九六九年、政府は道交法の運用により新宿地下広場を通路に変え、フォークゲリラを強制排除した。市民は討論の場を失い、歌の運動は急速に力を失った。だが、それぞれ持参した鳴り物を楽器にして、首相官邸前で夜遅くまで抗議の声を上げ続ける若者たちの姿を目にしたとき、広場が自然発生する瞬間を四十五年ぶりに目撃したように思ったからだ。

大木晴子さんは今でも毎週土曜、反戦を訴えるプラカードを掲げ、新宿西口に立ち続けているが、その持続する志は、少なくない若者たちの共感を呼んでいる。今こそ読まれるべき一冊。共編者の鈴木一誌によるブックデザインもすばらしい。

BtUuF0zCMAAyziy.jpg

Featured Posts
Recent Posts
Search By Tags
まだタグはありません。
Follow Us
  • Facebook Classic
  • Twitter Classic
  • Google Classic
bottom of page